ニクラ様より頂きましたv  

居眠り







それは珍しい光景だった。
いや、珍しいどころではない。見たことのない光景だ。

奴隷奉公とは言え、休日だというのに朝早くからヒル魔に呼び出され、制限時間ギリギリでデビルバッツの部室に駆け込んできた葉柱は、目の前の光景が信じられず思わず自分の頬を強く摘んだが、それは葉柱に痛い思いをさせただけで目の前の光景は消えることはなく、頬の痛さで少しばかり我を取り戻した葉柱の耳に安らかで規則的な呼吸音を入れたのだ。
安らかで規則的な呼吸音―つまりそれは寝息のことなのだが、何故そんなものが聞こえてくるのかと言うと、今この場所で、ヒル魔が居眠りをしているのである。

通常、一介の高校生が自らが所属する部活動の部室で、居眠りをしていようと驚きの対象になどなり得ないのだが、それがヒル魔とあっては話は別だ。付き合いがあまり親密でない葉柱が知る限りだが、ヒル魔という人間はどんな些細なことでも弱味に繋がるようなことを人目に晒したりはしない。常にその目と耳と頭脳で人物や状況を観察・把握して優位性を確立しており、意図して罠を張ったのでもない限りは隙を作らない人間の筈だ。

― マジか?

ほんの2m程度先で無防備に寝息を立てるヒル魔が俄かには信じられず、狸寝入りを疑ってみるが寝息は深く本物で、何より狸寝入りをしたところでヒル魔に何の得も無いことに気が付いて、葉柱は心中で己に軽く突っ込みを入れた。
悪魔だ外道だと他人から言われ人間離れしている点があるとは言っても、ヒル魔も身体の機能としてはおそらく普通の人間だ。疲れが溜まっていて、他の部員がいないことで気が緩めば居眠りくらいはするのかもしれない。
そう考えるとこの光景も最初に受けたインパクトほど不可思議なものではないように思えてきて、遠くから聞こえてくる野球部の声と金属バットが硬球を飛ばす音に促されるように、葉柱は開けっ放しになっているドアを静かに閉めると足音を立てないように移動し、一番近くの椅子に静かに腰をかけて対角線上の椅子にかけたまま眠るヒル魔を眺めた。本当ならば「呼び付けておいて寝てんじゃねぇ」と叩き起こしてやるところなのだが、いかにも作業の途中に落ちました、と言わんばかりにパソコンのキーボードに手を乗せたまま背中を少し丸めるように俯いて眠るヒル魔の姿と、普段の稼動ぶりや今朝電話をかけてきた時間のことを思うとそうする気が起きないのだ。
葉柱は多少の理不尽さを感じながらも、大人しくヒル魔の居眠りに付き合うことに決めた。




「…!」

ガクリと崩れる感覚で慌てて目を覚ますと、葉柱は椅子から落ちかかっていた体勢を戻した。 ヒル魔の寝姿を眺め出してどれくらいの時点だろうか、ヒル魔から発せられる「ねむねむオーラ」に中てられ、葉柱も眠ってしまっていたのだ。
周りを見回して眠る前のことを思い出すと小さく欠伸をしながらケイタイをポケットから取り出し、ぼやける目を擦りつつ時間を確認するが、その表示されている時間にいまだ眉間のあたりに残されていた葉柱の眠気は吹き飛んだ。いつ寝出したのかハッキリとは解らないが、指定されていた時刻から計算して、時計が狂っていなければ30分以上は寝ていたことになる。葉柱で30分なのだ、ヒル魔はどれだけ寝ていたのだろう。無駄を嫌うヒル魔が、一体どれだけの無駄をしたということになるのだろう。 ケイタイを仕舞いながら、目を覚ます気配が一向に見られないヒル魔に視線を向ける葉柱の中で、激しい葛藤と逡巡が沸き上がる。
ここで葉柱が取るべき行動は確実に「ヒル魔を起こす」なのだが、起こしたところでほぼ間違いなく「起こすな」とあたられるか、もしくは「もっと早く起こせ」と例の剣幕で怒鳴られることが目に見えているのだ。いや、怒鳴られるくらいならまだいい。ヒル魔のことだ、銃の的にされることも場合によっては、と言うか高確率で考えられる。
いくら奴隷であるとは言え、ここまでヒル魔に気を使い怯えることはないと思いながらも自らの経験と記憶、そして「寝起きのヒル魔」などという未知のオプションが強がりすら許さず、葉柱の背中は嫌な汗で濡れ始め、心なしか動悸も早くなっていた。

― どうしろってんだよ…!

悩む葉柱などにはお構いなしで時間は淡々と刻々と過ぎてゆく。
選択肢が一つしかない状況なのだから、それこそ余計な時間を稼いでいる間に行動に移してしまえば良いのに、なかなか踏ん切りがつかない。
ただ居眠りを起こすだけのことなのだが、眠れる鬼を起こすのだ。
これに比べれば抗争やチキンレースの方が己の裁量で行動でき、身を守ることが許されている分よほど平和的で良心的だろう。

― 畜生!

しかし、いくら二の足を踏んだからと言って、やらなければならないことが消えて無くなる訳でも、誰かが助けてくれる訳でもない。
何よりこのままヒル魔が自発的に目を覚ましたら、それはそれで長時間放って置いたことを盛大に咎められるに決まっているのだ。
本音とプライドが極限まで競り合いプライドが勝利した結果か、はたまた続く緊張で神経が磨耗して思考が焼き付きを起こした結果なのか、葉柱は気合一つ腹の中に落とすと、自らの右足をヒル魔に向けてぎこちなく踏み出した。

「おい」

何よりも長く感じた約2mの距離を詰め、ヒル魔の傍に立って声をかける。自分で聞いていて、情けなくなるくらい緊張でガチガチの声だ。
声をかけてから数秒ヒル魔の反応を見るが、目を覚ます気配はなく深い寝息にも変わりはない。

「起きろ、ヒル魔」

なるべくならば避けたかったことだが、声をかけただけでは起きそうにないヒル魔の肩に手をかけて軽く揺する。
何度か揺すってみたがそれでも起きる様子は見えず、葉柱は何かを紛らわせるように小さく舌打ちをすると肩においている手に力を込め、先程よりも大きく、力強く揺らしにかかった。

「おい、いい加減に起き…」
「…っせぇな…」

意を決してガクガクと揺さぶったのが功を奏したのか、不機嫌な声が上げられる。反射的に飛び退きそうになったのをどうにか堪え、葉柱は恐る恐るヒル魔を窺った。

「…起きた、か?」

夢と現を往き来しているのか、ヒル魔はのそりと顔を上げ、開き切らない目を声のした方にゆらりと向けるとそのままの姿勢で止まった。半分以上瞼が閉じている目だが、どこか、何か言いたげだ。
その様子に益々緊張を強めながらも葉柱は妙な度胸がついてきたのか、離した手をヒル魔の肩に覚醒を促すようにもう一度かける。

「おい」
「…せろ…」

葉柱の声に反応するようにヒル魔の眉間に軽くシワが寄り、緩く開かれた唇からは予想に反した穏やかな声が零れる。
その声の様子から、どうやら少なくとも危惧していたことはなさそうだと判断し、葉柱は幾分か安心しながら、耳に入らずに落ちてしまった言葉を聞き直そうと背を屈めた。

「なんだ?」

覗き込むように顔を近づけた瞬間、葉柱は不意にバランスを崩してヒル魔の肩に顎を乗せるような形で倒れこんだ。
どうやら首に腕を回され、ヒル魔に抱き寄せられたらしい。その距離の近さに驚き、葉柱は慌てて離れようともがいたが、もがけばもがくほど力が込められ、却ってヒル魔との距離を詰めてしまうことになってしまった。

「ヒル魔っ」
「…あと5分寝かせろ…」

なんとも甘い、甘えた声が葉柱の耳に吹き込まれる。
とてもではないがヒル魔が発しているとは思えない声と、耳を擽る吐息に葉柱の脊髄を何かが駆け上がり一瞬にして頬を染めたが、葉柱がそれらをやり過ごしている間にヒル魔は再び眠りに落ちたらしく、まだ余韻の残る耳元には寝息が聞こえてきた。

「…」

頬に上がった熱が退きだし気持ちに多少のゆとりが出来た葉柱は、ヒル魔を張り付かせながら、こうなった理由をボンヤリと考え始めた。
もしかしたら、寝惚けて誰かと間違えているのかもしれない。例えばあのマネージャーなど、有り得ない話でもなくはないのかと。
少々クールな常識で考えれば、いくら寝惚けているとは言え、アメフトをやっている男子高校生と普通の女子高校生の体格差に、抱き付いておきながら気付かないなどということは、まず有り得ないということに思い当たりそうなものなのだが、葉柱は良心的で単純な思考回路でそう考え納得すると、なるべく疲れ難い体勢になるように少しだけヒル魔に凭れるように重心を移動した。

― ま、しょうがねぇか

つまりはヒル魔も人間だったということだ。
人間なら居眠りをした挙句、寝惚けて誰かと間違え抱き寄せるくらいのことはしても仕方がない。
しかも、甘ったれたヒル魔など金輪際お目にかからないかもしれない、弱味とも言えそうなものが拝めたのである。それならば、決して楽ではないこの体勢も5分くらいならば取ってやっててもいいかと思えてくるというものだ。

葉柱は、5分後に目を覚ましたヒル魔をからかってやることを誓いながら、壁にかけられた時計を確認した。



『バカメレオンめ』

これがヒル魔の罠だということには、幸福な葉柱はもちろん気がついていない。



素敵……vv和真のリク内容は「いろんな意味で蛭魔さんに弱い葉柱さん」だったのです…;
こんな分かりにくいリク内容にも関らず、書き上げてくださいました…v
葉柱さんが可愛いのは勿論のこと、珍しい甘えんぼな蛭魔さんと、策略家な蛭魔さんが同時に見れてかなりお得ですvv
ニクラ様、本当にありがとうございましたvこれからも当サイトを宜しくお願いいたしますv



05,12/19

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